FTM:蓮太朗君の自叙伝

“頭(意識)と体が一緒だったら良かったんだ、ただ、おれの体は女だった。”
“人間として、勉強するなら、こういうのもありかな” と話す蓮太朗君。
彼は、今32才です。

時を遡り、幼少の頃のことから、彼自身の言葉で、寄稿いただいておりますので、ご紹介いたします。(順次アップしてまいります)

誕生です。

生まれ方は帝王切開でした。何故かと言うと、逆子だったからなんです。
先生がマッサージで正常に戻してくれたみたいなんですが、出産直前に、逆子にしてやりました(笑)。
その代償なのか、両足股関節脱臼で生まれて、長い間足を固定されて吊られていたという、何とも間抜けな誕生です。

もっとも古い記憶

小さい頃、父は仕事が忙しく、家にいない事が多かったそうです。
確かに、物心つくまで、父との記憶があまりないかも。

たくさんの人ごみの中を、母が僕を抱っこして歩いていた時、あまりにも人が多すぎて押されまくりで進めなくて母が「痛い!押さないで!」って悲鳴をあげていたんですが、その時「僕が守らなきゃ」って思いました。
抱っこされてる身で(笑)。

初めて自分で選んだおもちゃ

2歳のクリスマス。
仕事が忙しく、なかなか子供の相手ができない父を母が見かねて、「いっしょにおもちゃでも買いに行ったら?」とお金を渡したそうです。当時住んでた家の近くにおもちゃ屋があったので、散歩がてらてくてくと歩いていったのですが。

僕が初めて手にしたのは「野球セット」。多分、自分の背丈ぐらいの長さだと思うんですが、右手に父の手、左手には「野球セット」。引きずりながら、またてくてく帰る。帰宅すれば、母は大激怒だったらしく父を叱ったそうですが、父曰く、「こやつが、これば離さんもーん」。
僕に選ばせるからこうなる(笑)。

幼稚園

七五三を自分の髪で結いたいという母の願望から、僕の髪は長かったです。
幼稚園で遊ぶには邪魔になるだろうからと、毎朝、母がボンボンのついたゴムひもで「うさぎちゃん」にしてくれてました。
バスが迎えに来て、わんわん泣きながら乗り込み、幼稚園に到着してまずすることは、スモッグに着替えるでもなくかばんをかける事でもなく、ゴムひもを取る。

1日泥だらけになるまで遊べば、当然髪はボサボサになるわけで。午後、バスから降りてくる僕は、まるで「ミニターザン」(笑)。いつも母から「何で取るの!」と怒られてました。

幼稚園2

年長になってからやってた遊びは「お姫様ごっこ」。
三人のお姫様がいましたが、当然の如く、僕は王子様。
役作りのため、毎日、かばんの中にマント変わりの紫の風呂敷を忍ばせてました。

風呂敷と言えば、よくやったのが「忍者ごっこ」。風呂敷で忍者風に覆面するんですが、もう縛り方忘れちゃったなぁ。

初ちゅー

同じ幼稚園の子が近所に住んでました。
よくその子が家に遊びに来てたのですが、「夫婦ごっこ」をしてる時(もちろん僕は旦那役)、チューしてました。いけないことだとわかっていたのか、全身を新聞紙で覆ってやってました。そこは玄関のまん前でしたが。

ちなみにその子は、「見て見て!親指が鼻の穴に入るよ!」と見せてくれる、鼻の穴の大きい、ゴリラみたいな子でした(笑)。

幼少時代の遊び

小学2年生まで友達がいませんでした。
お菓子に砂をつけて食ってたからだと思うんですが(笑)、そんなだから、いつも一人で遊んでました。
近所の年上のお兄ちゃん達から「なんちゃって!」と呼ばれてました(笑)、いつもやってたからでしょうね。

その、近所のお兄ちゃんの家の前で、一人でボードゲームの「人生ゲーム」やったり、当時流行ってた「あしたのジョー」の絵を描いて、電信柱に貼りまくってました。

おもちゃは、超合金のロボットとかラジコン・サッカーボールばかりで、
その中に似つかわしくないりかちゃん人形がありましたが(親が与えたもの。)、
2体とも坊主のマッパという哀れな姿に・・・。
僕からしてみれば、長髪でフリフリの洋服着てたら戦闘員にはなれないわけで。
確か、脱臼もしてらっしゃったような。

あと、戦隊ものシリーズで初めて見たのは「デンジマン」です。ちなみに、今でも歌を唄えます。戦隊ものにはかなりハマリました、「てれびくん」とか買ってたし、「○○マンショー」をよくやってました。

服装

小さい頃は親がスカートもはかせてたみたいなんですが、自分の意思が出るようになってからは、制服以外ズボンオンリーです。
制服でさえも嫌悪感を抱き、不登校になるトランスもいるみたいですが、僕はあまり嫌ではなかったです。

ただ、社会に出てからは自分の就きたい職業を選べるので、制服を着なくてはいけない職業は避けています。
まぁ、僕の場合デスクワークとか苦手なんで服装に関して悩むことは、そうそうないのですが。

初恋!?

女の子を好きになったのは、小学5年の時でした。
きっかけはこれがまたアホみたいな話で、部活動の時に友達が、「もし男だったら、誰を好きになる?」って聞かれて1つ年上の人を選んだんですが、名前を口にしてから意識するようになって(笑)。

この頃から、今まではヒーロー戦隊みたいな格好良さではなく、人間として格好良いと思われたい、色んな意味で強いと思われたいと思うようになりました。

頭髪にも興味が沸きだし、親に連れられて行ってた美容院ではなく、自分が見つけた所に髪を切りに行きました。親の目を盗んで、親の整髪料をつけて学校に行くようになったのもこの頃です。

性自認の移り変わり1

子供の頃なんて、人が何をしてようが何の興味もなく、当然人が何を考えているなんてわかるわけもなく。不思議なんですが僕は生まれてこの方、女の子を好きなのがおかしいと思った事など1度もありません。

ただ、簡単に人に言ってはいけないとは思っていました。
(余談ですが、小学6年の頃ある子に手紙で「○○ちゃんが好きなんだ~」って書いたら、返事に「☆☆ちゃん、女の子が女を好きだなんておかしいよ?」って書いてありました。思い出す度、凄い怖い事を何の疑いもなくやっちゃってる行為に背筋が凍ります・笑)
まだ何が正しいとか人からの見られ方なんてわかってない頃に、自然に「俺が~」とか言ったりすると、周りから「女の子だろ」とか「女の子でしょ」と言われて「?」と疑問を抱いた事があるからです。

自分は女であるという認識はあったので、「そうか」って感じで反論できなかったんですが、とにかく不快な思いをしたくないという理由で言うのをやめました。
ですから「女の子である」というより「女の子をやっている」という感じです。
その姿勢は今でも変わらず。
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第二次成長

女の子を好きになった出来事により、服装や態度など自分の見られ方を気にするようになりました。
それは、自分が「女」であるという事実から逃げられないという事を悟った感じです。

ですから、第二次成長により体が女性化していくのを、物凄いスピードで感じていました。

生理が始まり、胸が出てくる。
部活動時や体育で走る時、胸が揺れるのが嫌で嫌で。
体育服の前を手で握り、前に引っ張って揺れを隠すように走っていました。
その特異なスタイルを、よく同級生に真似されたものです(笑)。

性同一障害者は、自分の体に対して嫌悪感を持っていると言いますが、「嫌悪感」という言葉には少々疑問を感じます。

国内で初めて性転換をしたFTMは、この時期に、声が高いのが嫌で喉を釘などで刺して傷つけたり、大きくなっていく乳房をペンチで潰したりしたと話しています。あまりの衝撃的な内容に、さすがの僕も絶句してしまいました。
普通の人なら、頭おかしいんじゃないの?とか精神的な病気なんだなと思ってしまうかもしれません。
そこまで嫌なんだってお思いでしょう。

でも、それはちょっと違う。

皆がそうとは言いきれませんが、「嫌悪感」というより「疑問」という感じなんです。
「何でこうなの?」と思い、イジってみる。変わるんじゃないかと思いイジってみる。

もはや、「好き」「嫌い」の次元じゃないわけで。

例えば、よくドラマの中で、死んでしまった大事な人を「起きろよ!」と言いながら揺さぶるというシーンがありますよね。頭の中では死んだとわかっていても、受け止める事ができない。嘘だろ?と思ってしまう。
まさにあんな感じで、現実を受け止められないという状況の中、彼はやり過ぎてしまったという事ではないかと思います。
それを表わしているように思えるのが、こういう話になった時よく耳にする「抵抗がある」という言葉。

性同一性障害である僕らは、自分の体が嫌いなんじゃない、子供じみているかもしれませんが、早くこの夢が覚めて欲しいと思っているのです。

自分と向き合う(中学時代)

この時期は、とにかく調べまくりました、「自分」という生き物について。

それは、疑問を解決したいということではなくて、「共存の方法」を探していたのです。
「共存」とは、先に話した「覚めない夢」との共存です。

今でこそネットで、手に入れたい情報を他の人に悟られる事無く仕入れる事ができますが、この頃はそんな物ありゃしませんから、本屋などに行っては人の目を気にしながら、それらしい記事を読んだり、おなべが出てる番組を親にバレない様にこっそり見ていました。

ただこの頃は、TVや雑誌でも「びっくり人間」的な扱いをしており、世間は「気持ち悪い」というよりも、博物館でめずらしい動物を見るような感じだったと思います。

僕は、自分と同じような人間が、どのようにして「男」として生きようと努力しているかという事を知りたいと思っていました。

「覚めない夢」の中でじっと座って落胆しているのか、それとも生きていく方法を考えるのか。
僕は後者を選びました。

この世界を知る事が、自分の首を絞める事になるともわからずに。

自分と向き合う(高校時代)

この世界を知った僕に待っていたのは、楽しい毎日でした。

周囲の友達が理解してくれたという環境も有り、中学3年の時に初めて彼女ができてから、高校2年で初体験をするまで、ごく普通の「男生活」だったと思います。
ひょっとすると、世間の男よりは、美味しい思いをしたんじゃないかなぁ(笑)。

初めてのデートにドキドキしたり、手紙のやりとりしたり、彼女に会うために夜遅く家を抜け出したり、塾をサボったり。冬の寒空の下で川の堤防に腰掛け、たわいもない事を、時折恥ずかしそうに喋る時間が楽しくて楽しくて。
3日先の事なんか考えられるわけもなく、大人になった自分なんて想像できませんでした。

今考えると、この頃が一番楽しかったかもしれません。

「大人になる」という事に気付いたのは高校3年生の時でした。
18歳の誕生日を迎えた夜、「社会」という「僕を知らない人」が沢山いる中に、デビューして行かなければならない日が必ず来るという事に気付いたのです。

僕に化粧なんてできない、会社の制服だって言っても可愛い感じのスカートなんて履けない。
この時ほど、朝が来るのが怖いと思った事はありません。
どうしようと思い煩っていたある日、当時付き合っていた彼女が何気なく言いました。

「ちゃんと、お父さんとお兄ちゃんに挨拶に来てね。」
「三々九度もいいけど、やっぱりチャペルがいいなぁ。」

彼女は、結婚できると思っていました。

僕は彼女に、女同士は結婚できない事を、言葉を選びながら慎重に話しました。
彼女を失うのは怖いというのもありましたけど、嘘はつけないとも思いました。
世間知らずだった彼女は、びっくりして黙りました。

大人にならなくちゃいけないのに、僕に将来はない。夢もない。

結婚もできなければ、子供もできない。そんな僕に家族は作れない。

これから先、何を励みに生きて行けばいいのだろう、どんな大人になればいいのだろう。

彼女を送り届けた帰り道、家の近所のマンションで立ち止まりました。
僕はロビーに入り、エレベータに乗ります。
向かうは屋上。

ゲームをリセットするかのように人生を終わらせたいと思いました。

生まれ変われるかもしれないと本気で思ってしまったのです。

意気揚々と屋上に着いた僕の目の前に広がっていたのは、綺麗な夕焼けでした。
下を見れば、このマンションに住んでる子供でしょうか、無邪気に遊んでいます。
帰宅途中の学生、サラリーマン、買い物帰りのおばちゃん。
小さい人間達の生活を垣間見ていたら、何だかこんな事している自分がアホらしくなっちゃいまして。

「壁を越えようとするから辛いわけで。
僕が生きていける世界は普通の人より狭いけど、その中で幸せになればいい、
その中で一番になればいい。」

18の僕は、この考えに辿り着きます。

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